私は高校卒業後、10年間を宮大工として過ごしました。この期間は、真っ黒で古い材料ばかりを扱い、大工として重要な経験である新築を建てる機会はほとんどありませんでした。このような背景があり、宮大工として10年目の28歳という節目に、私は独立の道を歩み始めました。
失敗から学んだ、私の家づくり。
独立してからは2級建築士の資格を取り、住宅建築へと舵を切ります。しかし、それまで宮大工として伝統的な建築物ばかりに触れていた私、住宅のことは何も知りません。規格の柱のサイズ、天井高、窓の大きさなど、知らないことばかりでしたが、若かったからこそ挑戦できたのでしょう。
そして、この時に自宅の建築にも挑戦。何の知識もない時の設計・施工は、風で揺れる、雨は漏る、暑い寒いと、建築を志すものとして最低の家を造ってしまいました。それでも、その時の自分が持つ力を出し切った家。今でも大切に住んでいます。

自宅新築時の失敗があったことで「こんな家は二度と造らない」と決意し、建築中の現場にお邪魔して、様々な仕事を見て回りました。墨付けの技を見て盗み、小屋組みや木組みの仕方を覚えました。仲間の大工には図面を見せてもらって研究するなど必死でしたが、今思えばそれも楽しい日々でした。この一匹狼時代は10年近く続き、今までで1番勉強した時代です。枕元には必ず建築雑誌、参考書、建築の写真集。様々な勉強会にも参加し、知識と技術を貪欲に求める建築小僧になりました。
そして、この時の強い決意こそが造家工房の家づくりの基礎となり、”土壁を使った伝統構法で強く、長持ちして住みやすい家”を安心して提供できるようになったのです。
若手大工が一人前になるまでの道のり
話が少し逸れてしまいますが、私は大工を始めて10年で、なんとか家を建てることができました。
では、弊社にやってくる若者たちはどのように一人前の大工へとなっていくのか、簡単にご紹介します。
1年目
私(親方)のもとで建築・住宅のこと、特に社会の常識やマナーを覚えます。研ぎや電動工具など技術的なことも指導しますが、なかなか思うようにはできません。

2年目
現場に出します。現場でベテランの職人たちと一緒に仕事をしますが、まだ何もできません。そのため、断熱材入れや下地の取付、掃除、職人の手元など、ほとんど雑用を担当します。

3・4年目
少しずつ任されることも増えてきます。道具を使いこなせるようになり、綺麗な仕事ができるようにもなってきます。

5年目
上達具合にもよりますが、小さなものから墨付け・刻みを1人で担当し経験をさせていきます。それでも、言われた通りに建てることが精一杯で、「気が付いたら建っていた」という感じです。

6~10年目
色々な経験を積み、間取りを考えたり、木配りから墨付け・刻みをしたりと、自由自在にこなして建てていくことができるようになります。ここからが「大工」と呼ばれる職人の仲間入りです。宮大工の場合は覚えることが多く、修業時代も10年以上かかると言われていますが、住宅建築は5~10年ほどで一人前になることができます。

次回は、話を戻して独立してから現在に至るまでの経験、建築業界の移り変わりなどについてお話します。

代表取締役 亀井 俊博
出 身 地 :三重県四日市市
生年月日:1964年5月1日
趣 味:渓流釣り バイク”鑑賞”(笑)
資 格:2級建築士、古民家鑑定士1級、建築大工基幹技能者、既存住宅現況検査技術者、被災建築物応急危険度判定士、伝統防除技士
